神を信じる者は意外と依存していないんじゃないかという話

神を信じる者は意外と依存していないんじゃないかという話

たいていの宗教は、なんらかの神を信仰します。

特定の神や、特定の宗教を信仰するのは、依存性が確かにあると思います。

ただ、いわゆるお天道様が見ているといったような、特定ではない神を信じる者は、意外と依存していません。

日本人は特にこういう人が多いかと思いますが、特定ではない神とは例えば自然の神ですね。

 

なぜ依存していないかというと、神はそもそも存在するかどうかわからないからです。

すなわち、依存したくても、依存しようがないんですよ。

これはかなり不思議な現象です。

 

特定の神を信仰する場合、特定の神に対する依存性があります。

ただし、誰かが神をかたらなければ、そんなに依存性は問題になりません。

「神がこうおっしゃっている」

といって、人を動かそうとする人間がいます。

神を信仰しているはずなのに、いつのまにかその人間を信仰していたら元も子もないですよね。

このように、誰かに神という概念を悪用されない限り、あまり問題にならないわけです。

まともな神であるなら、むしろ悪いことをしなくなって、社会的にはプラスでしかないです。

 

だれか人間に依存するよりも、神の信仰は依存性が低いわけです。

依存しようがないですからね。

存在するかどうかもわからないわけです。

 

ただ、宗教の信者の場合は、その宗教に依存していますが。

私たち1人1人が、自由に神を想定し信仰すること自体は、意外と依存性がありません。

まぁそもそも、依存してはいけないわけでもないし、物質や社会に依存している人間が依存を否定するなど、調子のいい話ですけどね。

 

心理的な効果

まず、誰かを信じて依存したり、崇拝するよりは神を信仰したほうがいいでしょう。

これだけでも、意味があると思います。

さらに、自殺するぐらいなら神を信仰したほうがいいです。

日本は、あまり宗教が一般的ではないので、批判されやすいですが。

そもそも日本自体が、宗教みたいなものですからね。

集団主義や同調圧力は、まさに宗教団体みたいです。

日本の中で普及している宗教は、むしろ日本の集団主義よりマシだから流行っているのでしょうかね。

いずれにしても、信仰そのものは、別に問題ないでしょう。

現実逃避だって、だれでも多かれ少なかれしているでしょうし。

神の信仰には、けっこう心理的効果はあると思います。

もちろん、幸せな人には不要でしょう。

苦労している人だからこそ、何かにすがりたくなるんだと思います。

他人の苦労は大きく見えたり、小さく見えたりもしますが、その人にとっての苦労だけが本人の真実ですからね。

 

深みのある人は理解している

苦労を知っている人は、神や宗教の信者をあまり否定したりはしませんね。

何かにすがりたくなる心を、知っているのかなと思います。

社会的にみじめな状況になっても、生き続けることはなかなか厳しさを伴うものです。

 

物質的な依存から、私たちは免れません。

水や空気は、必ずだれもが必要です。

大切な人を失うことや、失うことの悲しみを避けるためにあえて孤独に生きることすらも、精神的に依存しています。

本質的には、精神的に依存していない人なんて全くと言っていいほどいません。

たいていの場合、運や環境に恵まれているだけでしょう。

それを自覚していないだけか、見て見ぬフリをしているだけだと思うんですよね。

実は依存していたと後で気づくパターンですね。

気づけばはるかにいいほうで、実際には気づかないことのほうが多いかもですが。

そのことを肌で実感しているのが、苦労をしった深みのある人なんだと思います。

 

誰かに言ったり、こうして書くことも、依存性を含んでいます。

依存している人を、依存していると批判すること自体が、依存性を表現しています。

このあたりは、少なくとも気づいておくべきところだと思うので、注意を忘れないようにしたいです。