満たし方はいろいろある!承認欲求はゼロサムゲームではない

満たし方はいろいろある!承認欲求はゼロサムゲームではない

なぜか「承認欲求がゼロサムゲーム」という話を見かけたので、満たし方も含めて投稿しておきます。

このような考え方は非常に危険です。

誰かが満たせて、ほかの誰かが満たせないわけですから、誰かに犠牲を強いてしまいます。

物質的な物事ならわかりますが、承認欲求はもちろん精神や情報的な話では、通常ゼロサムは成立しません。

詳しくみていきましょう。

社会的地位について

ある社会的地位に就けるのは、確かに常に1人だけです。

だから、誰かがその社会的地位を獲得すれば、別の誰かがその地位を失っていると。

これがゼロサムゲームという考えなわけです。

ですがこれは、社会的地位がゼロサムなだけですね。

承認欲求を満たすものは、ほかにも多くのことがあります。

というかその本質は、承認にあるわけですね。

承認は、ゼロサムではありません。

私が承認しても、相手が承認することは可能です。

満たし方の本質ともいえる詳細は後述します。

ですが、そもそも社会的地位は、承認欲求を満たすものではありません。

なぜなら、自分が承認されているわけではないからです。

人は、自分の中から湧き出てくるものを認めてもらいたいんです。

社会的地位にいると、確かに自分が認められたように錯覚します。

ですが、いずれは満たされていないことに気づくでしょう。

例えばLBGT

例えばLBGTの人が認めてほしいのは、あるがままの自分であり、権力を持てるような地位を欲しているわけではありません。

あるがままを認められるとは、存在を認められることであり、社会の中でふつうの地位があることを認められるものです。

ここに、ゼロサムゲームは成立しません。

危険性がない限り、あらゆることを認めることは可能なのですから。

権力的な社会的地位にいると、認められたように錯覚します。

ですが、LBGTであることを告白すれば、すぐさま拒絶する人が出てくるかもしれません。

あるいは、すでにカミングアウトしていても、社会的地位が認められることと、LBGTとして認められることは完全に別の話です。

LBGTが認められたわけではなく、自分が承認されたわけでもなく、仕事の成果が認められたにすぎません。

ケガや病気で社会的地位からおろされたら、承認欲求を永遠に満たせなくなるでしょうか?

地位とは本来、無関係なんです。

自然体

一般の人は、このLBGTを自分の自然体に置き換えてください。

承認欲求の根本は、自分に自信がないことです。

だから、何かを成し遂げて認められることで、自分に自信を持とうとします。

ですが、本当に必要なのは存在を受け入れられることです。

もっというと、自然体を承認されることです。

自然体でいていいなら、人は安心しますから。

地位は借り物

そもそも社会から与えられる肩書や地位は、借り物にすぎません。

仕事の地位だったら、退職すればもはやただの無職のおっさん(おばさん)です。

ゼロサムゲーム以前に、肩書は一時的なもので、ただの幻想でしかありません。

重要なのは、自分が認められたわけではなく、その肩書が承認されているに過ぎないということです。

大企業の看板を背負っていた人が、独立した瞬間仕事の依頼がこなくなるようなものです。

社会的な地位は、誰かに与えられたもので、自分の中から湧き出たものではないんです。

いじめは満たされる?

ゼロサムによっていじめが合理的なものになるから、いじめが生じるという話もありました。

いじめは優越感にひたるものです。

優越感は、承認欲求を満たさないんです。

優越感は、ジェットコースターのようなものです。

ジェットコースターは、恐怖という感情を楽しみます。

人は、スリルを楽しみますよね。

人をいじめるという行為は、優越感というスリルを楽しむんですよ。

モンスターをボコボコにするような、スリルと優越感が同居している感じです。

暴力する時ってのは、興奮してきますからね。

承認欲求を満たすと錯覚されがちですが、実際には満たしません。

その証拠に、いじめはなくなっていません。

また一時間後にいじめたりしますから。

承認欲求が一時的にでも満たされるなら、そのあと一日ぐらいはいじめをしなくなるでしょう。

というより、優越感と承認欲求は別物なんですけどね。

他人を貶めたところで、自分は承認されてませんからね。

他人との比較では、そもそも満たされないんですよ。

だから、社会的地位でも満たされません。

自分がいじめられないためにいじめをするケースも少なくないので、承認欲求と結びつけるのは少々ムリがあるでしょう。

それにいじめをしたら、同級生や特に大人など多くの人たちに承認されないのですから、明らかな矛盾があります。

 

自然体が認められること

もちろん社会的地位でも、少しは承認欲求が満たされるかもしれません。

社会的地位が満たすというなら、会社の数を増やせば、その分だけ社会的地位が増えます。

社長、役員など、社会的地位を増やせますね。

ゲームの数を増やせば、その分だけライバルが減り、上位に入りやすくなり、承認欲求が満たされやすくなります。

この時点で、そもそもゼロサムゲームではありません。

減るもんじゃない

魚は獲った分だけ減っちゃいます。

ですが、承認欲求を満たしてくれる「承認」は、減るもんじゃありません。

ですから、お互い褒めあったり、承認し合えばいいだけの話です。

もっというと、純粋に努力して実力を高めればいいだけの話です。

承認は減らないので、ちゃんと実力が伴っていたら、認めてくれます。

まぁ、実力を見抜けるような人があまりいないかもしれませんが。

承認欲求を満たすために、社会的地位があるわけではないので、そのために会社を増やすのは実際ばかげていますよ。

それにその社会的地位を守るために勝ち続けないといけませんし、負けた時には承認されなかったことになるので、自己評価下がります。

自分が好きすぎてやっちゃうことを、徹底的に価値を高めて仕上げて、社会に認められることのほうが、はるかに承認欲求が満たされます。

自分の中から湧き出たものが認められることが、承認欲求を満たしますし、本当の欲求です。

実力を身につけること

まずはお互い存在を認め合える社会になることです。

これだけで、承認欲求は大分マシになります。

もちろん、瞑想的な技術も必要なので、一概には言えませんが。

欲求がマシになれば、あとは実力を高めて認められればいいだけになります。

承認はタダなので、ちゃんと基準に達していれば認められます。

人の役に立てば、認められます。

ボランティアだってゼロサムではありませんよね。

承認欲求については、全体の幸福度を純粋に上げることができる素晴らしいものだと、私は思っています。

ですが、誤用や悪用をしてしまうケースが多いので、注意しましょう。

究極的には、人の役に立つことが一番の満たし方です。

誰かを支配するような、権力的な立場になっても、満たされません。

もし満たされる人がいたらそれは、献身的にその立場で人の役に立っているだけです。

地位は、承認欲求を満たすこととは無関係です。

自分の中に生じた優越感にひたっているだけだからです。

もちろん、実力を正当に評価されたなら、この部分は満たされます。

ただ、地位は誉め言葉の代わりになっているだけで、ねぎらいや誉め言葉でも満たされるんです。

人の役に立ったことの証でもありますからね。

 

満たし方まとめ

つまるところ、自分が承認されることが重要で、他人の比較によって得られる地位や優越感は、無関係ということですね。

もちろん地位を得ればうれしいでしょうし、優越感にひたっている間は気持ちいいでしょうけど。

満たされてはいないということです。

満たし方としては以下の通りです。

  • 人の役に立つこと
  • 練習や経験して実力を、身につけ認められること
  • 存在や自然体を認められること

すなわち、自分にとって苦痛ではないことを練習して、実力を高め人の役に立つことで承認されるのが、一番いいということですね。

ボランティアでもいいですし、寄付とかでもいいです。

まぁ寄付は、承認はされないかもですが、自分の中で自己評価が無意識的に上がるのでおすすめです。

以上、承認というゲームに、ゼロサムは成立していないから、満たし方はいろいろあるという話でした。