「洗脳されているよ」に対する反応で洗脳かどうか見分ける

「洗脳されているよ」に対する反応で洗脳かどうか見分ける

「日本人の99%は洗脳されている」という指摘を、ホリエモンがしていました。

実はここに対する反応で、洗脳されているかどうかある程度見分けることが可能です。

もちろん完ぺきではありませんが、1つの参考にはなります。

「洗脳されている」という指摘に対して、これこそ洗脳ではないかという意見が、世の中にはあります。

ですが、これはちょっと違うんです。
これこそが、洗脳されている人の典型的な反応でもあるからなんです。

洗脳されているかどうか、見分けるための参考になります。

 

宗教の例

例えば、宗教の信者に、「あなたは洗脳されていますよ」と言ったら、どういう反応が返ってくると思いますか?

もちろんいろいろあるでしょうが、こんな感じの返答があり得るでしょう。

「ははは。ご冗談を。洗脳されているのはあなたのほうでしょう」

まさに、「信者は洗脳されている」という考えこそが、洗脳だと言いたいのでしょうね。

これは、洗脳されている人の典型的な反応なんです。

なぜなら、洗脳されていない人は、「私って洗脳されているかも」と思えるからです。

これが正常なんですよ。

何かに洗脳されている人は、その何かを事実だと思い込んでいます。

だから、他人こそ洗脳されているように感じてしまうんです。

 

信者は、宗教の教義が事実だと思い込んでいるわけです。

そんなわけで、「あなたは洗脳されているよ」と指摘してくる人が、洗脳されているようにしか見えないわけですね。

 

ちなみに、宗教の信者だからと言って、洗脳されているとは限りませんので、ご注意を。

「あなたは洗脳されている」という指摘に、辟易としていて、「洗脳されているのはあなたのほうだ」と返している可能性もあります。

決めつけないようにすることが前提で、あくまで判断材料の1つでしかありません。

ただの指摘なのに

「あの、これ、今落としましたよ」

と落とし物を拾ってもらえたら、「洗脳だ!」と騒ぐ頭のおかしな人はいるでしょうか?

もちろん、いないでしょう。
今落としたという、ただの指摘にすぎません。

「洗脳されている」というのも、ただの指摘です。

「あなた洗脳されていますよ」

という指摘をされて、洗脳されていない人が、

「そうだ!私は洗脳されている!洗脳されているぞ!」

とその場で洗脳される人が、果たして存在するでしょうか(笑)

ただの指摘なんですよ。

これが洗脳なら、世の中のすべてが洗脳になり、洗脳の定義が無意味になります。

 

ポイントは、洗脳されているかされていないか、2つに1つなのです。

すべてが洗脳ということは、このことに反するのです。

もちろん、本質的には、すべてが洗脳にはなりえます。

ただ、指摘するだけで洗脳されている人は、何を言われても洗脳されます。

つまり、本人の問題なんです。

まぁここまでの人が、果たして存在するかは疑問です。
おそらく、物理的に不可能でしょう。
シナプスってのは常に変動していきますからね。

事実でなければならない

逆に言うと、「あなた洗脳されていますよ」に対して、それこそ洗脳ではないか、という指摘は可能です。

ですから、

「あなた洗脳されていますよ」

と相手に言う場合は、

相手が洗脳されていなければなりません。

事実でないなら指摘の範疇を超えて、洗脳になってしまうからです。

ただ、「あなた洗脳されていますよ」と指摘されたら、その可能性があることは事実なので、その可能性は考慮すべきでしょう。

 

「はい、私は洗脳されています」

と受け入れてしまうと、それもそれで洗脳されちゃいます(笑)

 

「確かに、私が洗脳されている可能性はあるでしょう」

これこそが真っ当な人の返答ではないかと思います。

後に、

「しかし、あなたの意見を鵜吞みにすることも洗脳になる可能性があるので、多くの意見を参考に判断していきます」

という風に、相手をかわすこともできます。

洗脳されている部分につけこんで、別の洗脳をするパターンもありますからね。

まぁ白紙の人を洗脳するのが、一番簡単で早いでしょうけど。

私たちに洗脳されてしまう可能性がいつでもあることは、結局のところ認めるしかありません。

 

教育はどうなのか

教育は、洗脳ではありません。

しかし、教育で洗脳することはできます。

ここが、区別として重要なところですね。

 

私自身は、日本の教育はわりと洗脳要素が入っていると思っています。

漢字や科学の知識などを教えることは、別に洗脳ではありません。

ただ、教師が洗脳されていると、その影響を受けやすくはなります。

例えば、非科学的なものを頭ごなしに否定する教師だったら、その影響を受けてしまうでしょう。

しかし、非科学的なものを頭ごなしに否定することは、それこそ非科学的です。

教育の範疇から逸脱するため、洗脳的な要素があるというのが私の解釈です。

 

国語についても、人物の心情などを推察します。

しかし、人の気持ちはわかるものという、刷り込みのような影響を受けるリスクがあります。

 

特に学校や教師、親からの洗脳として多そうなのは、

「間違ってはいけない」

「いい大学に行っていい企業に就職するのが幸せ」

といったものですね。

これらを事実だと思っている人は、これが洗脳だとは思えないんです。

まさにそれこそ、洗脳されている人の反応なんです。

これが洗脳だと気づいたなら、その瞬間半分は洗脳解けているんですよ。

無意識レベルまで浸透していないだけで。

 

こういった、無意識的な影響は、多くあるかと思います。

特に危険なのが、正解ですね。

日本人は、あまりにも正解を探し求めるように訓練されています。

これは、かなり洗脳的であると思います。

正解があること、ありそうなことで正解を探すのは、理にかなっているのですが。

なぜか、正解のないことまで、正解が存在するのは、さすがに洗脳と言われても仕方がないでしょう。

詳細はこの前に別記事で書いたので、ご興味があればこちらの記事を。

選択肢を広げるものかどうか

本来の教育の定義など、書くべきことはいろいろありますが、このあたりは割愛しまして。

最後に、教育と洗脳の違いがあるんです。

それは、選択肢を広げるか狭めるかです。

見分け方の1つとして認識しておくといいでしょう。

宗教などについても、いえることです。

もっと言うと、教師や親、先輩などのアドバイスに対しても、いえることですね。

 

「いい大学に行っていい企業に就職することが幸せだと私は思っている」

この場合、洗脳にはなりません。

なぜなら、意見を言っているだけだからです。

しかし、親や教師がいうと、権威などにより、鵜吞みにする人が必ずそれなりにいます。

その時点で、洗脳的なところはあると言えるでしょう。

特に、これを事実と思っている場合は、洗脳されています。

 

実際には、職人の人に弟子入りすることが幸せな、職人気質の人もいるでしょう。

地域密着型で、小規模に働くほうが幸せな人もいるでしょう。

家庭教師や整体師など、1人で主に仕事を進めたい人もいるでしょう。

職を転々とする働き方が、幸せな人もいるのではないでしょうか。

選択肢は本来、多いのです。

可能性を広げるのが、教育なんですよ。

 

しかし洗脳は、選択肢を著しく狭めることになるわけですね。

ほかにも例えば、芸能人の出家騒動もありますけど、やりたくない仕事はやらないで続けることもできたかもしれません。

選択肢は広くあります。

某芸能人の方が洗脳されていたかはわかりません。

ただ、洗脳されている人は、事実だと思い込むので、選択肢がほかに見えなくなります。

 

やりようは、いくらでもあるかもしれないわけです。

そこで創意工夫する力を身に着けるのが、本当の教育ではないでしょうか。

先輩や他人が、何かアドバイスをしてきたら、可能性を広げるものかどうかに注意しましょう。

選択肢を限定するような話は、相手があなたをコントロールしようとしている可能性があります。

また、自分や他人が信じていることで、選択肢を狭めることがあれば、それは洗脳の可能性がけっこうあるわけです。

まとめ

判別、見分け方の参考として、以下にまとめました。

  • 洗脳されているという指摘に対する反応
  • 指摘や意見を述べることは洗脳ではない
  • 選択肢を広げることが教育で狭めることは洗脳
  • 物質以外のことで事実と思い込んでいたら洗脳

ほかにも見分け方や区別すべきことはたくさんあります。

ただ、このあたりに注意するだけでも、意味があるでしょう。

自分のことも含めて見分けられたり、洗脳されているかどうかに少しは注意深くなります。