差別の本質的な原因は相手と自分は違う人間だと思うこと

差別の本質的な原因は相手と自分は違う人間だと思うこと
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なぜ差別が生じるのか?

差別の本質を見ればサクッとわかります。

差別の本質は「自分と相手は違う」と認識することにあります。

これが原因です。

黒人を例にしてみましょう。

前提として肌の色が違いますけども。

「私たちは肌の色が同じです」

と誤魔化せと言っているわけではありません。

こんなことは馬鹿げていますよ。

肌の色は明らかに違います。

その上で「自分と相手は同じ人間だ」と思っているかどうかです。

 

肌の色が違っても仲良くできるか

肌の色は違うけど、同じ人間であるという認識があるかどうかです。

顔は違うけど、同じ人間だと思うのと同じですね。

同じ人間だと思っている場合、差別はしません。

「なんて肌が黒いんだ!」

という発言を、肌の色を強い個性として楽しみつつ、冗談めかして笑顔で言えば相手を同じ人間だと思っています。

一方でまるで汚いものを見るかのように言えば、相手と自分は違う人間だと思っています。

差別の本質は意識にあるということです。

自分とは違う人間と思うかどうかが分かれ目

肌の色が違うだけで、相手も自分と同じ人間だと思えば、差別にはなりません。

でも、あまりいい言い方ではありませんが、例えば頭のよくない人がいたとしましょう。

いきなり差別的になる人が周りにいませんか。

弱そうな人、リーダー気取りな人、意識高い系の人など、特定の相手になると差別的になる人は多々見られます。

こいつは俺とは違うと思うと差別になる

これは心理的には、「俺はこんなにバカじゃない」とか、「こんなに弱くない」と思っている節があります。

「俺はこいつとは違うんだ」という思いが、差別となって現れます。

頭の良し悪しや、強さや弱さなどの違いは人間ならあって当たり前です。

それ故に、違いはあるけど相手も同じ人間と思っている人は、差別しません。

しかし、自分にはそういった弱点がないと思っている人は、途端に差別し始めます

なぜなら、自分には弱点がないけど、相手にはあるという風に、自分と相手は違う人間だと認識するからです。

もちろん、「自分に弱点がない」など幻想にすぎないのですが。

 

実力差があるのは当たり前

重要な視点ですが、実力の差があるのは当たり前です。

能力の差、上手い下手の差、経験の差、センスの差など。

問題はこの差につけこんで、差別に悪用されるケースがあることです。

違いはあっても、上下の差があっても、同じ人間だと思えるかどうかです。

キリストの言う隣人愛は少なくとも、これは包含されていると思います。

犯罪者や過失者に対しても同様

犯罪者相手になると、途端に差別的になるケースも少なくありません。

これは特に多いでしょう。

自分は犯罪をしていないのだから、自分は相手と違う人間だと思いがちです。

もちろん法的な措置や、償いは必要です。

それとは別に、差別にはならないように注意しないといけません。

仲良くする必要も、賛同する必要もありません。

ただ、「俺(私)はこいつとは違う」という認識は、差別を生みだすだけで何の生産性もありません。

自分の差別意識を上昇させ、かえって人の恨みを買いやすくなるだけかもしれないんです。

大きな失敗をした人も、まるで大罪を犯したかのように扱われる場合があります。

「こいつみたいに大きなヘマなんてしないさ」

というように、”やらかした人”が相手だと、自分と相手は違うという差別意識が生じやすくなります。

もちろん、「人間だからやらかすこともあるよね」と思っている人は、差別的にはならないでしょう。

責任の追及などは差別とは別です。

 

差別をなくす抽象化思考

私が極めて能力開発の効果を感じた方法として、抽象化思考があります。

この思考法は差別を大きく解消するほどの効果があると思います。

ほかにも、ただ思考を介入させず観察する技術やその習慣化なども必要でしょうけど。

抽象度を上げて視点を高くすると、違いはただの違いでしかなくなります。

しかし、感情にとらわれたりすると抽象度が下がりやすくなります。

その結果どうなるでしょうか。

「俺はこいつとは違う」

「あいつは俺とは違う人間(例えば異常者)だ」

という差別意識が、生じやすくなります。

お金を払っていない相手を差別的に扱うこと

世の中では、お金を払うほうが圧倒的に偉いみたいな風潮がありますね。

少し資本主義の論理に染まりすぎている感じがします。

「金を払っていない人間はぞんざいに扱っても構わない」

という差別意識につながりかねません。

もちろんお金を払っていない相手に、商品やサービスを提供する必要はありませんが。

「金を払わない奴は同じ人間じゃない」

という考えまでいってしまうと、差別になります。

合理的な差別もある?

差別している人を差別してしまうと、まさにミイラ取りがミイラになってしまいます。

「俺は差別はしない人間だ。あいつとは違う」

というのは、まさに自分と相手は違う人間だと認識している状態で、とても差別的です。

ただ現実には、必要な差別もあるように思えます。

感染しやすい病気にかかった人を隔離するとか、人によって補助金の額に差があるとか。

こういうのは、ルールや必要性、合理性などによる差別です。

これらは、ある程度相手と自分は同じ人間だと思いながら、できる差別です。

一方で問題となる差別は、相手を同じ人間だと思っていない差別なわけです。

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抽象化すれば全員同じ人間

みんな同じ人間なのは、本来当たり前のはずです。

抽象化思考は、その認識を強化するのに役立つと思うんですよね。

日本の社会は異常だと、ほかの記事で書いたこともあります。

異常性の原因の一つは、この差別的な意識が関わっていると言えるでしょう。

「自分と相手は違う人間だ」

というたったこれだけの思いや認識が、差別を生みだす本質的な原因だと思います。

 

まとめ

「〇〇が違うけど同じ人間だ」

と常に思えるかどうかが、差別的な社会になるかならないかの分かれ目です。

うまくいけば今ある差別を、大きく減らせるんじゃないかと思います。

自分の中に弱さがあることを知っている人は、他人の弱さにも寛容です。

しかし弱さを受け入れていない人は、他人の弱さを否定します。

「相手の弱さは自分にはない→自分と相手は違う人間だ」

となり、差別的になりがちです。

そして、「自分は差別をしない人間だ」という認識があると、差別する人を差別してしまいかねません。

自分と相手は違うといった、差別的な意識こそが本質的な原因です。

もちろん、差別そのものはよくありませんよ。

「差別をしてはいけない」

という差別をする場合には、合理性、必要性、ルールなどによって行われるべきというわけですね。

 

この時、差別的な意識は必要ないわけです。

とはいえ私たちが差別を極力しないというのは、かなりの困難を極めますけどね。

私もできるだけ気をつけていきたいです。