嫌われる勇気を身につけて自然体の生き方をする方法

嫌われる勇気を身につけて自然体の生き方をする方法

嫌われるというのは、怖いものですよね。

嫌われる勇気がない場合、そこには原因があります。

もちろん、原因はいろいろ考えられるでしょう。

経験があって、うまくできることなら、だれもが自信を持てるでしょう。

一方で、未経験なことで自信がない場合、比較的多い原因があります。

それは、自分の軸がないことなんです。

 

なぜ、嫌われるのを怖く感じてしまうのでしょうか。

怖くない人は、そもそも勇気が必要という感覚がわからないんじゃないかと思いますが。

怖く感じてしまう理由は、嫌われることは怖いことだと、子どものころにそう教えられたり、思うようになったからです。

 

日本という国は、かなりの集団主義な国です。

集団主義の中では、嫌われることは集団から外されることを意味します。

私たちは、この国で生きてきた中で、無意識的にもそのように教えられてきているんです。

 

いじめも、日本は世界的に多いほうです。

ハブられる、仲間はずれにされるということは、集団主義の前提だとすごくキケンに感じやすいのです。

 

自分の軸があるとき、嫌われることも受け入れられます。

単純に言って、慣れの問題ともいえますが。

少なくとも、誰にも嫌われないのは不可能ですし、努力としても無駄になります。

嫌われる人を少なくすること、誰かに好かれるようにすることが、人間相手に私たちができることです。

 

自分の軸の見つけ方

自分の軸は、自然体でいないと見つからないんです。

しかし、自然体でいるためには、自分の軸が必要なんです。

この矛盾を乗り越えるのが、難しいのです。

 

新入社員だって、仕事をします。

仕事は、経験がないとできません。

経験するためには、仕事ができないといけないんです。

この矛盾を乗り越えるには、上司の力などを借ります。

また他に、誰もができる乗り越え方もあります。

それは、失敗経験です。

失敗なら、だれもができます。

失敗という名の経験が、成功という名の経験に変わるまで、信じて試行錯誤し続けるわけです。

 

自分の軸を見つける場合にも、人間関係の中で、その矛盾を乗り越えないといけません。

そして、誰もができる乗り越え方は、失敗を続けることなんです。

人間関係の中でしか、自分の軸は見つからないんです。

なぜなら、人間関係の中でしか、自分の軸は意味を持たないからです。

未知の中に飛び込むからこそ、新しいこと(自分の軸)がわかります。

今までの人間関係から、ある程度自分の軸というのもわかるかもしれません。

軸とまではいかなくても、自分のことを知ることはできるはずです。

 

自分の軸があれば好かれもする

対人恐怖症などの場合、人間関係なんて嫌なものでしかないかもしれません。

自分の軸があると、確実に一部の人たちには嫌われます。

しかし同時に、誰かには好かれます。

価値観が合うのか、気が合うのか、いろいろでしょうが、相性が合うためには自然体である必要があります。

自分の軸とは、自然体での在り方を知るものです。

自然体の自分でいるためには、人間関係の中でどうすればいいのか?

これを知るためにこそ、自然体で人間関係の中で試行錯誤しないと、いけないんです。

教育は本来、自然体でいることを肯定したうえで行うべきものです。

恐怖は、使ってはいけないんですね。

ですが私たちは、恐怖などを利用されてきたわけです。

ですから、潜在意識にネガティブな感情が、根深く眠っています。

この狂った社会でも平然としていられる人は、自然体でふるまい方を知っている人です。

でも、自然体というのは人によって違います。

改善すべきところも、自然体をベースとしたふるまい方も、人によって違います。

人はそれぞれ違うからこそ、自分の軸は、自分で試行錯誤しないと見つからないのです。

 

私たちは、親か、はたまたこの社会によって、自然体でいることを許されなかったんです。

だから、人に嫌われるのが怖いんです。

心当たりありませんか?

それが、トラウマのようになっているんです。

こうした、潜在意識に残っている感情の、自覚が必要です。

そうでないと、自然体でいる自分を取り戻せません。

恐怖と向き合う

結局のところ、自分の中にある恐怖などの感情と、向き合うしかないんです。

嫌われる勇気とは、嫌われる恐怖に立ち向かうことです。

嫌われることが怖いわけですが、その恐怖とともに、いることです。

恐怖がなくなるわけではありません。

 

逃げてもいいです。

逃げなければいられない時もあるでしょう。

ですが、いつかは対峙しなければいけません。

そしてこれを実践して対峙したとき、自分の軸が垣間見えるんです。

結果的に、自分の軸がわかってくるわけです。

そうすると、嫌われることに慣れてきます。

 

すなわち、嫌われるのが怖いなら、その感情と向き合わなければいけないんです。

その感情と向き合って、試行錯誤するしかないんです。

これが、とても難しいんですけどね。

現実問題、誰にも嫌われないなんて不可能です。

どうせなら、誰かに好かれるべきです。

自然体の自分で、好かれることを目標にしましょう。

過剰な適応をすると、自然体の自分が失われ、訳が分からなくなります。

自然体の自分を、何をするにしてもベースにするのがいいと思うんです。

 

既知の自分と未知の自分

既知の中から、自分の軸を探すそうとすると、わだかまりやネガティブな感情が邪魔をするんです。

これらがないなら、自分の過去を思い出すだけで、自分の軸は大体わかるでしょう。

もちろんそれは、既に知っていることの中でわかる範囲だけですが。

少なくともこれらの感情と対峙しなければ、自分の軸は見つかりません。

誰かに嫌われたことで、こわいと思うようになった可能性があります。

過去の感情と対峙することで、嫌われる勇気を少しは身につけられるかもしれませんね。

 

未知の中から見つけたい場合は、未知の中に飛び込むしかありません。

未知の中で自分はどうするかを知ることができるので、飛び込むだけで新たな自分を知ることができます。

そこでどうするかというのが、自分の軸になっていきます。

すでにたくさん、そこでどうするかを知っているなら、それが現在知る限りの自分という軸なんです。

好きなことをする人や、ワクワクで生きている人は、未知の中に飛び込むような生き方も併用していることがありますね。

ずっと同じことをしている場合は、話は別ですが。

 

未知ってのはこわいですよね。

私もそうです。

ですが、そこを乗り越えていくことが、新境地を開いていくことにつながります。

自然体でいて何の問題もなければ、未知の中に飛び込むことも怖くないはずなんです。

恐怖と対峙しなければいけませんが、しかし恐怖なんて大したものではないという恐怖の「正確な」認識も必要です。

既知と未知から、自分の軸を見つけていきましょう。

身の危険がないのであれば、恐怖は大して恐怖ではないんです。

これが、嫌われる勇気につながるでしょう。

自分の軸がわかってくれば、嫌われることに勇気があまり必要ではなくなってきます。

自分の軸があれば嫌われる勇気が身につくといいましたが、本質的には勇気が不要になるということですね。

嫌われるのが気にならなくなるでしょう。

 

こわいけど嫌われてもいいと思ったとき、それが勇気になります。

嫌われるのがこわいと思い続けると、恐怖を避けていることになります。

恐怖に対峙することこそが勇気で、それは恐怖と対峙しようと思ったとき、すでに勇気です。

私もまだまだですが、勇気を持って対峙していきましょう。