「価値観を押し付けるな」というのは価値観の押し付けなのか?

「価値観を押し付けるな」というのは価値観の押し付けなのか?

「”価値観を押し付けるな”という価値観も押し付けだ」

という指摘は、昔からよくネットで見かけてきました。

これは正しいでしょうか?

 

結論から言えば、これも価値観の押し付けになります。

例えば誰かのツイッターとかブログに、内容も読まずに「価値観を押し付けるな」と書けば、一種の押し付けとみなせます。

ブログで記事を書いていたとして。

「価値観を押し付けるな」という価値観を押し付けられているわけですね。

わかりやすく言えば、価値観を押し付けていることにされているわけです。

しかし押し付けなければ、もちろん押し付けではありません。

さて、この記事では、もう1つの視点について述べます。

もう1つの視点とは、「価値観の押し付けの正当防衛」についてで、これが本題です。

正当防衛の範囲内なら問題ないというのが結論です。

このあたり後半からお伝えいたします。

 

論理的にはおかしい

まず、「価値観を押し付けるなという価値観も押し付けだ」というのは、論理的にはおかしいです。

なぜなら、それを主張する人物は、価値観を押し付けてもいいという考えになるしかないからです。

ということは、価値観を押し付けていいわけですから、別に何の問題もありませんよね。

「はい、価値観を押し付けるなという価値観を押し付けています^^」

と返せばいいだけですね。

では、この先に何が起こるか?

とても意味のあることが起こります。

相手が同意している場合はルールとなる

「価値観を押し付けるな」

と主張して、相手がそれに同意した場合、お互い価値観を押し付け合わないというルールが形成されます。

すなわち「価値観を押し付けるなという価値観を押し付けるな」と主張する者は、これに同意していないわけです。

同意していないから、「価値観を押し付けるな」が押し付けに思えるわけですね。

しかしこれは結論として、この論理の主張者は「価値観を押し付けてもいい」と考えていることになります。

なぜなら、「価値観を押し付けるな」という価値観に、同意しなかったからです。

よって、「価値観を押し付けるな」という価値観を押し付けても、この論理の主張者相手なら何の問題もないのです。

 

この指摘も押し付け

そもそもですよ。

「”価値観を押し付けるな”という価値観を押し付けるな」

というのも、価値観の押し付けです。

そしてこの指摘(上の文章)も、更なる価値観の押し付けになり得ます。

こういうのは、論理的に無限ループします。

例えば「他人を裁くな」といって他人を裁く人は多いですが、この文章そのものも他人への裁きになり得ます。

「”洗脳されている”という指摘だって洗脳だ」

というのも、洗脳になり得ます。

そしてこの指摘も、洗脳になり得ます。

さらにこの指摘も洗脳に…と、無限ループ(無限後退)するのと同じです。

よって「価値観を押し付けるなという価値観を押し付けるな」というのも価値観の押し付けであるため、詭弁に過ぎないということです。

要するにこの論理は、ほぼ無意味なのです。

りんごに「おまえはりんごだ」と言っているおまえだってりんごだと言っているおまえもりんごだって言っているの同じですね。

はい、要するにみんなりんごだということです。

すなわち、何の意味もない論理です。

つまりこの論理の結論は、お互いに価値観を押し付けあっているだけという結論に至るしかないわけです。

私たちはそもそも価値観を押し付け合いながら生きているわけで。

ただ当たり前のことを言っているだけですね。

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相手が殴ってきたので殴り返したら暴力だと指摘されるようなもの

正当防衛の範囲内なら、問題ないという話をします。

正当防衛という概念を冒頭に持ち出した理由は、これです。

相手が殴ってきたので、こちら(あなた)も殴り返したとしましょう。

100の力で殴られたところを、50の力で殴り返したとします。

現実には正当防衛にはならないかもしれませんが、法律上論理的にはどう考えても正当防衛です。

で、あなたはこういいます。

「暴力はやめてほしい」と。

しかし相手はこういうわけです。

「暴力はやめてほしいのはこっちのほうだ」

と。

おかしな話ですね(笑)

確かに50の力で殴ったこと(相手の腕を振り払うとか)も、暴力は暴力です。

同様に「価値観を押し付けるな」というのも、価値観の押し付けになり得る部分はあるでしょう。

しかし正当防衛が認められているように、価値観の押し付け合いにも正当防衛が認められるべきと考えます。

相手に価値観を押し付けられた場合は正当防衛

誰かに価値観を押し付けられたわけでもないのに、「価値観を押し付けるな」とブログやツイッターなどで直接言うことは、価値観の押し付けです。

価値観を押し付け合ったっていいという価値観を持つ人だって、きっといるでしょう。

しかし「俺は価値観を押し付けるぜ!〇〇は▲▲だ!!」という人が直接主張してきたらどうでしょう。

「価値観を押し付けないで」というこちら側の主張は、余裕で正当防衛の範疇と私は考えます。

なにせ「価値観を押し付けるな」という、最低限の価値観の押し付けしかしていないからです。

「〇〇は▲▲じゃない!××だ!」

とか相手を否定する主張をしたわけでもないなら、余裕で正当防衛でしょう。

コーラおいしいは押し付けか?

Aさん「コーラおいしい」

Bさん「価値観を押し付けるな」

Aさん「」

この場合、Aさんは価値観の押し付けをしていないというのを、論理の前提とします。

感想を言っただけということですね。

となると、価値観を押し付けているのはむしろBさんのほうになります。

なぜなら、「Aさんの発言は価値観の押し付け」という価値観を、押し付けていることになるからです。

一般的には、「Aさんの発言はただの感想」として処理されます。

そして本人も、そう思っています。

つまり、価値観の押し付けはなかったんですね。

例えるならこの会話は、無罪の人間に、「犯罪やったでしょ」って言っているようなものです。

これは押し付けの定義の問題ですが、価値観の押し付け冤罪には注意が必要です。

 

論理的に正しいのは「価値観を押し付け合ったっていい」という前提

そもそも価値観の押し付けが問題になるのは、一方的に押し付けるからです。

お互い対等に押し付け合うなら、問題はないでしょう。

もちろん”お互い対等に”なんて、幻想にすぎませんが。

別の言い方をすれば、誰もが押し付けられることの拒否権を持っているということです。

これが前提なら、価値観を押し付け合っても、問題にはなりません。

もちろん拒否されたら、その価値観を尊重することも必要になりますが。

なにせ尊重がないと、強い立場の者が強引に押し付けることができてしまうので。

いずれにせよ、「価値観を押し付け合ったっていい」という論理でなければ矛盾します。

なぜなら「価値観を押し付けるな」というのも価値観の押し付けになり得る以上、矛盾するからです。

なのでまず前提として、「価値観は対等に押し付けあっていい」という論理があります。

ここにルールが必要と考える人は、少なくないでしょう。

その1つのルール作りとして、「一方的に価値観を押し付けるな」という価値観により、価値観を押し付け合わないでコミュニケーションをすればいいわけです。

これは間接的には、価値観を押し付け合うコミュニケーションを拒否していることになります。

もちろんそれでいいのですが、これは間接的には価値観を押し付けるなという価値観の押し付けになり得ます。

でも押し付けて相手が同意すれば、ルールとなります。

あとは誰かのブログとかに自ら「価値観を押し付けるな」と押し付けはしないことです。

その上で価値観を押し付けられたら、正当防衛の範囲内で「価値観を押し付けるな」と主張します。

「価値観を押し付けるな」というのは、ただの価値観でしかありません。

この価値観そのもの(存在)を、否定することはできません。

別の言い方をすれば、価値観を押し付け合ってもいいという価値観(論理)は、必然的に無法地帯を作ります。

そんなの嫌だから、価値観を押し付けて価値観を押し付け合わない場を作ろうとする感じですね。

要するに、価値観を押し付け合い、合意されなければ付き合わなければいいだけという結論になります。

これが尊重となります。

こちらが「価値観を押し付けないで」と言っているのに、それも押し付けだと言いながら、いつまでも価値観を押し付けてくる人がいるなら、明らかに正当防衛でしょう。

人付き合いするとき、「暴力はしないでね」と相手に言って、「それは価値観の暴力だ」と言われたら、そんな相手とは付き合いませんよね?

お互いのニーズが不一致になっただけですね。

もっとも、「『価値観を押し付けるな』という価値観を押し付けるな」という価値観に同意する人たちが、いったいどんなコミュニケーションをするつもりなのかは謎ですが。

 

もちろんこの記事も、一種の価値観の押し付けとなります。

そもそも価値観の押し付け合いこそ人間がしていることです。

相手の価値観については、相手の自由であり、相手の権利の範疇です。

ですから、価値観を押し付けるなという価値観を押し付けることも、私は問題ないと考えます。

押し付け合って、人類は進んでいくというだけの話ですね。

もちろん、相手が押し付けてきたことに従わないといけないという意味では全くありませんよ。

押し付け合っていいのだから、押し付け合えばいいし、反論してもいいし、無視してもいいでしょう。

相手は自分に返事をしなければならないというのも、価値観の押し付けですし、それに対して返事はしないという押し付けも、していいってことになりますから。

後は単純に、ルール(法律、組織や利用するサイトなど)の問題ですね。

例えば日本にいるなら、同意していなくても法律には従うしかありません。

それと同じですね。

同意しようがしまいが、ルールというものが存在する以上、価値観の押し付けから完全に逃れることはできないでしょう。

ルールはまた別の話なので、この辺で。