生き方がわからないあなたに。忘れがちな自然の生き方とは?

私たちは、世の観念から影響を受けていたり、洗脳されている部分があります。

強迫観念や固定観念、先入観があるわけです。

だから、○○しなければならないという観念に惑わされ、生き方がわからなくなりやすいです。

誰にとっても多かれ少なかれ実践することになるであろう、その解決方法を提案しています。

 

そもそも生き方は、人によって異なります。

どんな生き方をしても、それは個人の自由なわけです。

ただ、特にこういう生き方をしたいというものがはっきりしない場合、どうしたらいいのでしょうか。

そういう場合にこそ、本来すべての人がもつ、忘れ去られた生き方をするべきだと思います。

その生き方とは、自然体でいることです。

ムリをすることや、見栄を張ることが悪いわけではありませんよ。

重要なのは、自然体でいるときにそういった決断をしたかどうかです。

自然体でいながらムリをするなどの決断をして、新たなスキルや経験を得られたなら、自然体の幅が広がっています。

見栄を張ることによって、見栄を張ることが虚しくなったなら、自然体に変化が起きています。

自然体でいることは、自然に成長していくことを含意していて、100%今のままという意味ではありません。

あくまで、「自然体をベースにしましょう」ということですね。

 

社会の悪影響

こういう自分はダメだという観念を、私たちは社会によって刷り込まれがちです。

「コミュニケーションがうまくないといけない」など、そういう類のものです。

自分のダメな部分を否定するように、私たちは社会に教育されています。

でもその否定は、不自然なんです。

自然体でいられなくなり、自分がわからなくなります。

本当の自分はコミュニケーションがうまくないということを、認められなくなります。

この状態になると、生き方が不自然になってしまいます。

 

精神が不安定になるので、多くの物事や人に対して、攻撃性が生じたりします。

顕在意識と潜在意識が分離してしまいます。

さらに、潜在意識に対して悪影響があります。

セルフイメージ、自己評価が下がるんです。

成功者を目指そうとして、現状の自分を否定すると、かえって成功者から遠ざかるわけですね。

自然体で生きていくことが、前提です。

 

自立とは自然体で生きていくこと

自立というのは、会社に依存するとかしないとか、そういう次元を超越したところにあると思うんです。

なぜなら、物質的に依存しないことは不可能だからです。

自然体という観点から自立を定義するなら、ふつうにしているだけで、生きていけるようになることだと私は思います。

巷では、「依存先が複数あることが自立だ」という説を見かけましたが、これを含意しています。

自然体で生きていたら、いくつかの仕事が成立したり、多くの人たちから助けてもらえたりすることです。

自分にとって再現性があればいいのであって、他人にマネできるほどの再現性は不要です。

こういうのは、非論理的な領域の仕組みなので、容易に再現できません。

ですがいずれにせよ、自然体で生きていくことを無視するのは、結局本人にとって不幸になりやすいと思います。

自分が何を重視し、何を犠牲にでき、何を目指し、どれぐらい成長したいのかなどの考え方や価値観は、人によって大きく異なるからです。

 

自然体で経験したことや、獲得した技術などは、自然体で生きていく上で役に立ちます。

自然にできることが、自然体で生きるという生き方の技術になるからです。

ムリしてできることを、自然にできるようになりたいなら、それをムリして努力すればいいと思います。

でもそうでないなら、やらなくてもいいと思うわけです。

 

多くの成功者は、やりたいことをやれと言います。

でも私は、その本質は自然体でいることだと思っています。

やりたいことである必要はありません。

彼らは自然体で生きているだけなんです。

その結果、やりたいことを滅茶苦茶やる生き方になっているにすぎません。

彼らにとって自然体でいることは、やりたいことを滅茶苦茶やることなんですね。

 

そういう生き方が、誰でも自然に生じるわけではありません。

そもそも熱中できるほどのやりたいことがあるかどうかや、環境など運にも左右されます。

また、生命エネルギーみたいなものも必要かもしれませんし。

 

こういう生き方をしなければならないというわけではなく、自然体で生きることが生き方のベースになるという話ですね。

今の時代では、生き方がわからない人も多いと思います。

その場合はぜひ、自然体で生きることを、1つの生き方のベースとして考えてみてください。