【才能】遺伝子の優劣は時代による!いつの時代でも強いわけじゃない

【才能】遺伝子の優劣は時代による!いつの時代でも強いわけじゃない

遺伝子の優劣というのは、その時代の枠組みによって異なります。

「うわぁぁぁぁあああああ!遺伝子的にもう絶望しかない!」

という人も、優劣があるのではなく、厳密には違いでしかないことを認識しないと、展望が見えにくいと思うんですよ。

健康については、まぁほぼどの時代でも同じかもしれませんが。

 

違いの解釈

遺伝子には違いがあって、その違いを時代の枠組みで優れているとか劣っているなどというように、判断/解釈しているだけです。

ポイントは、違いでしかないことです。

ですから、今の時代では優秀扱いされても、別の時代では劣等扱いされることもあるわけですね。

ただの違いでしかなく、それは個性と認識したほうがいいでしょう。

近代では、そういう解釈がよく提唱されますしね。

まぁいずれにせよ、他人にあまり振り回されすぎないようにしたほうがいいのは、確かなことだと思います。

 

ただ、日本は集団主義の国なので、反個性主義みたいになりかねません。

社会が腐っているとはよく言ったものです。

大衆の意識や常識によって社会は構成されますので、社会を変えるとはすなわち人々の意識を中心に変えることを意味します。

技術的な変化や物質的な変化も、大きな影響を与えますが、社会の変化は、本質的には意識や認識の変化といえます。

現代の優劣的価値観は、あくまで現代の枠組みでしかありません。

そのことが常識となれば、遺伝子の差もただの違いでしかないという認識になるでしょう。

 

何が起きるのか

では、遺伝子の差は、ただの違いでしかないという認識が常識になったとき、何が起きるでしょうか。

1つの個性、もっと言えば才能というとらえ方に基づいて、自分なりの生き方をするようになるのが当たり前になると思うんです。

今の時代は、なぜかみんな同じ生き方をするべきという、同調圧力が強いです。

日本そのものが宗教みたいになっています。

 

しかし、人それぞれ違うのは、遺伝子がそれぞれ違う部分があることから、明らかなんですよ。

科学的に考えても、人によって環境や価値観、考え方などありとあらゆることが違うため、生き方も違ってきます。

社会に貢献するというのは、確かに大事なことです。

ですがこれは、強制されるべきではないんです。

社会にマイナスの影響を与える大抵の行為は、基本的に犯罪となりますから、強制する必要はありません。

 

遺伝子によることはもちろん、後天的な要素によっても人はあまりにもそれぞれで違います。

ですから、人それぞれの貢献の仕方があります。

いわゆる向いている向いていないという、相性などがありますよね。

生き方や働き方、考え方などを強制するのは、かえって非効率になります。

 

もっと人それぞれ違うというのが、常識になればいいですね。

こんなこと当たり前だと思うんですが。

集団主義や同調圧力という社会に適応することは、宗教的な社会に洗脳されているのと同義ですね。

特定の神を信仰しているわけではないので、気づきにくいのが非常に問題です。

洗脳されている人は、洗脳されていると自覚はせず、事実だと思い込んでしまうんですよね。

 

集団主義に適応した生き方は、ただ1つの生き方にすぎません。

それが合っている人もいるでしょう。

ただ、問題は、現代の日本ではそれが過剰になりすぎています。

遺伝子の違いは、本来は優劣を判定するものではないと思います。

人類の生存戦略の1つだと思いますし、事実は違いがあることだけです。

 

科学的に明らかになった事実すらも、その時の社会次第で歪められた解釈がされてしまうのは問題ですね。

もちろん才能という解釈ができるのは確かですし、才能による違いがあるのもまぁ確かでしょう。

ですが、あくまでそれは違いがうまく時代に合っていたという点がポイントです。

時代に対して遅すぎるのはもちろん、早すぎる才能も、かえって恩恵を受けにくいです。

 

遺伝子なども含めて、自分という個性を、どう活かすかを考えるのも1つの生き方です。

集団主義的な生き方だけではありませんからね。