資本主義は依存的すぎて支配的な構造を生み出す

資本主義は依存的すぎて支配的な構造を生み出す

資本主義って、「無限競争」です。

経営者にとっては、365日24時間働いてもらうほうが有利です。

もちろん物理的に不可能ですが、雇い主は可能な限りこれに近づけようとします。

そのため、多くの人が疲弊してしまいます。

 

無限競争を強いられてしまうのはなぜでしょうか?

その原因は資本主義の論理上、支配的な構造を必然的に生みだすからです。

資本主義の論理とはなんでしょうか?

それは「お金こそがすべてだ」というものです。

論理とは仮定のことで、正しさを意味するものではありません。

「お金こそがすべて」が正しいとしたら、どうだろう?

っていうのが、資本主義です。

もちろん「お金がすべてである」なんてことが、正しいことはあり得ません。

しかし、資本主義はその正しさを仮定として成立しています。

よって、「お金がない人間は命を落としても仕方ない」という(錯覚的な)結論に至らせます。

なぜなら、「お金がすべてである」という論理は、命より優先であることを意味しているからです。

 

すべてをお金から始めてみる制度

「すべてをまずお金から始めよう」としたのが資本主義です。

絶対的なものを1つ、”お金”に決めた感じですね。

命でも、信用でもなく。

国家としては、お金をコントロールすることで、多くのことをコントロールできる可能性、メリットが生じます。

お金がもらえないなら、多くの人は今の仕事をしないでしょう。

まさにそれこそが、お金によって社会が部分的にコントロールされている証拠です。

もし今すでに満足に生きていける状態ならどうでしょう?

嫌な仕事なんてしませんよね?

さらにいえば、国家の言うことも聞きませんよね?

嫌な仕事をしてもらうために、お金で管理する制度にしたのが資本主義という見方もできます。

支配のために、資本主義が生まれたという見方をすることすら可能なほどです。

依存により生じる支配的な構造

「お金がすべて」であるということは、必然的にある行為を封じることになります。

それはなにか?

というと、自給自足です。

土地もお金が必要で、毎年税を払う必要があるようにするわけです。

すると、自給自足だけではお金が手に入りません。

よって、働かなければいけなくなります。

これこそが、支配的な構造が生じている証です。

強制的に社会に依存させます。

上司と部下などの主従関係が生じる

お金から始まるので、必然的に企業家や投資家など、お金持ちが権力を持ちます。

ということは必然的に、ピラミッド型のような支配構造が生じます。

お金がないと、社会的には何もできません。

大地という居場所すら、確保できないのです。

本来なら誰のものでもなく、誰がいてもいいはずの大地なんですけどね。

こうして働く必要が生じ、必然的に雇用主のほうが上になります。

その結果、上司と部下などの上下関係、昔なら奴隷と主人のような主従関係が成立するわけです。

もっとも奴隷は、資本主義が始まる前からありますけどね。

お金により生じる依存連鎖

お金に依存してしまうと、あらゆる依存の可能性が生じます。

例えば専業主婦だと、旦那の稼ぎに依存します。

ということは、旦那にもっと稼いでもらいたいとか、旦那が仕事できなくなったらどうしようという精神依存が生じやすくなります。

お金がないと生きていけない→会社員にしがみつく

なども、1つの依存例です。

資本主義は、私たちをかなり依存的にさせる制度です。

学校は、依存のプロを育てる機関なわけですね。

学問的な問題解決の思考力を育てながら、起業家的な思考力を育てないこの巧妙さは、どこから来ているんでしょうね。

依存をやめるには、あらゆる依存に注意する必要があります。

しかし現実には、依存に注意するどころか、推奨するのが資本主義です。

この社会は、かなり依存的になりやすくなっています。

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資本主義の歴史は浅い

資本主義の歴史はまだ浅いです。

400年ぐらいでしたかね。

黒か白かといったように、極端な結論になることのほうが少ないと思います。

大抵はその間に無限にあるどこかのグレーです。

同様に、お金がすべてという極端な思想をもつ資本主義も、そう遠くない未来で限界に達するのではないかと思います。

あまりにも富める者が富みすぎて、限界がきそうに思えます。

マルクスにより警告されていた

もともとマルクスという人物が、警告していました。

資本主義では支配的な構造や、格差社会にならざるを得ないということです。

今現代になって、改めて見直されたりしていますね。

当時は社会主義か資本主義かみたいな、両極端の話しかなかった感じですが。

今ならいろいろテクノロジーもあるので、いろんな在り方を考えられるでしょう。

マルサスにより人口増の危険性も警告されていた

日本に100人しかないなら、自給自足は余裕です。

木になっている実をとり、野菜を育て、魚を捕獲し、必要なら家畜を飼えばいいわけです。

水は川の付近で住めばOKです。

クマなどの野生動物や自然災害、病気を除けば、あまり問題は生じないでしょう。

働く必要もありません。

しかし人口が多いと、圧倒的に資源が足りません。

食糧を常に生産し続けなければ、誰かが生きていけなくなります。

人口の増え方が、食糧の増え方を上回る時が来ると、マルサスという人物が警告していました。

 

人口を増やす→奴隷増加という図式

資本主義では、お金がない人間が命を落とすのは仕方ないという風に、錯覚させてしまう魔力があります。

もちろん、食糧や水が純粋に足りない場合は、誰かが生きていけなくなります。

なので、人口増加には本当に気を付けなければいけないのですが。

資本主義の支配者層は、貧困者などの人口がいくら増えようが、問題になりません。

使い捨てでたくさん奴隷を雇えるので、むしろ儲かります。

支配者にとっては、人口が増えてくれても問題にならないわけです。

 

正しくないから強制修行状態になる

私は以前、正しくないから修行になるのだと言ったことがあります。

例え話をしてみます。

音を立ててはいけないという修行が、禅寺ではあります。

でも一切音を立てないなんて、不可能です。

さらにいうと、無意味です。

ではなぜそんな修行をするかというと、「音を立ててもいい」という正論では修行にならないからです。

音を立ててはいけないという間違ったことを目標にすることで、自分の体を完全にコントロールするための修行をするわけです。

資本主義だって正しいわけではない

そして資本主義の「お金こそがすべてだ」という論理も、正しくありません。

間違っているがゆえに、強制修行状態になります。

なぜ労働がこんなにもひどい環境になるかと言えば、もともとの論理が間違っているからです。

ゆえに、強制修行状態になります。

「お金こそがすべてなのだから、金持ちを目指さなければならない」

と錯覚しやすいのです。

「趣味も、好き嫌いも、捨てなければならない」

という、強制修行状態になりやすいのです。

強制修行状態になる直接的な原因は、会社や上司などの支配的な構造にあると思いますけどね。

 

これから目指すべき健全な社会とは

ベーシックインカムがあれば、支配的な構造にそんなに依存しなくても済みます。

月5万円でも、どう使うかでチャンスがありますから。

あるいは別の方法もあります。

それは自給自足です。

自給自足ができれば、支配関係に従う必要などありません。

ただ、行政権、司法権が握られていますから、自力でできることには限りがあります。

あとは人間の心の教育を充実するという方法もあります。

どんな制度であっても、完璧な制度はありません。

人間の心さえ進化していれば、ここまでひどくはならなかったでしょう。

ブラック企業も、必要最小限しか存在しなかったと思います。

あるいはもはや一切存在せず、0かもしれません。

究極的には、資本主義でも、理想の社会は実現できると思います。

 

まとめ

資本主義は、お金がすべての始まりという仮定に基づいた制度です。

これが強制的に社会に依存させる仕組みになっています。

ですから社会に依存している人ほど、社会的には評価されます。

社会の中心にいる人たちですね。

でも社会の立場は、社会が用意したもので、自分の力ではありません。

その立場から失脚すれば、周囲に手のひらを返され、ろくな扱いを受けないでしょう。

立場とはただの借り物でしかなく、それが依存という罠です。

本来の自立は自給自足

資本主義という依存的な構造で自立するには、多くの人の需要に応え、競争に勝ち続ける必要があります。

起業して収益が発生するビジネスを、維持し続けることです。

しかし本来の原点における自立とは、自給自足であり、これは多くの人ができることだと思います。

自給自足なら、自己責任として理解できます。

しかし社会に依存させておいて自己責任ってのは、暴論だなと思います。

例えるならどっかの宗教団体に放り込まれて、自己責任だと言われるようなものですね。

もちろん本当の自己責任は、放り込んだ人間にあるのですが。

あなたが家畜ならどうするか?

もし自分が鶏小屋にいる鶏とか、豚などの家畜の立場ならどうしますか?

もちろん、ほいほいと従うのも1つの手です。

一方でその立場を利用して好きなことをするのも、1つの手だと思います。

土の踏み方を変えてみたり、草を眺めたり、鶏ながら好きなことをします(笑)

この社会にいること自体が、私は自立を大きく阻んでいるように見えます。

依存性から脱却しない限り、本当の自由は手に入りません。

依存性がないという自由の前提があるから、依存しても楽しいのです。

宗教団体に放り込まれても、自分の好きなことを貫く選択肢もあるわけです。

ホリエモンが、一切先生の言うことを聞かなかったように。

お金がすべてという論理の社会にいるからと言って、その論理に染まる必要はありません。

もちろん、最低限のお金は必要ですけどね。

この場合は論理に染まっているわけではなく、ルールに従っているだけです。

でもだましてでもお金を稼ごうとする場合は、染まりすぎています。